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普段教育系の仕事して、休日は野球の指導をさせてもらって学ぶことが沢山ある。
教える立場に立って、改めて思うことは教えてる側が必ずしも「偉い」ってことじゃないなぁって。
「偉い」=指導者、先生
この構図は、自分の中では違うなって感じる。
あくまで個人的な意見に過ぎんところはあるけど、教えて貰ってる側がこの人から「学びたい」「話を聞きたい」って思った人が、その人にとっての先生であったり指導者であったりやと思う。
教えてる側が「こうしなさい」って言ったから何かをやるってゆうのは、指導ではなく強制。
(例外もあるけど、大半はそうやと感じる)
強制されたことって、面白くもなければそのやってること自体に意味がない。
時間ももったいなくなる。
ただ、世の中必ずそういう場面は出てくる。
いかにその中から1つでも自分にとって、成長できることを探すことも大事やとも思う。
1日、1時間、1分、1秒少しでも前に進むことが今できる全て。
今やれることを全力で楽しむ。
簡単なようで、難しいことやけど確実に成長できる1番の近道。
でも、まだまだ自分も発達途上。
近道で行くことも1つ。
只、遠回りをしてたどり着く答えが自分が選ぶ最高の答えなのかもしれんと思うから、とにかく目の前のことに全力にひたむきに。
失敗して失敗して少しずつ正解に辿り着く。
これがきっと原点。
教えてる側にたっても、周りの人今指導させて頂いてる子どもたちから少しでも多く学ばせてもらおうと思う。
常に笑顔で、前を向いて。